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奥之家

House in profoundness

特例許可|個人住宅

日常の中に見え隠れする “もう一つの世界”    ―人間らしく生きるために―


「人はもう一つの暮らしの場として、空想という‟ 想う空間 ” を持っているのだと思う」  皆川 明



都市の奥

京都市の京都盆地北東外縁に位置する一乗寺エリアに立つ大庭の自宅である。このエリアは平地に街の中心市街地があり、街の外れの山の麓に氏神神社が立ち、その奥に修験道の寺院と比叡山山麓が控えるという日本の集落ではよく見られる階層構造を持っている。敷地は氏神神社近く、山に向かう長い坂道を上った先にある長さ約35メートルの袋路の奥にある。土地は建築基準法上、接道ゼロメートルという状況にあり、所有地の約三分の一を通路としてセットバックし、同法第43条2項2号の特例許可を得て新築を行った。


路地の奥 

山に向かう緩い段状の土地や水路といった微地形と周囲の古い民家に囲まれたエアポケットのような敷地に3本の独立柱が立つ。家の内部の居室はその独立柱を軸に分節して配置され、外部には小庭、中庭、大庭の3つの庭が設けられている。建物の構造体である木造の3本の柱の間隔はそれぞれ不均等で、列柱やラーメン構造の柱のように一定の間隔で並んで空間にリズムを刻む柱を定型詩的に立つ柱とするならば、この柱は散文詩的に立つ柱と考える。建物の1階ほぼ中央には、袋路の終端部分であり3つの庭の中で最も大きい大庭から家の奥にある中庭に向かって水平方向の吹抜けがある。その中央に1本の独立柱が立っている。この柱は吹抜け空間を特徴付ける存在であると同時に、それを軸にシンメトリーに重層配置された、軒先、格子戸、障子、上框、ガラス窓、簾といった要素と共に「奥」性を表出させるレイヤーの1つにもなっている。その「奥」の終焉部となる中庭には柱のある中央軸線上に、他所で井筒として使われていた生駒石を立てて配置した。


家の奥

中庭の生駒石は家の奥であり、路地の奥でもある。ひいては都市の奥の1つでもあると考えている。その中央部は丸く穿かかれ、中空となっている。それは「奥」の消失点であり、人間の意識をさらに深い世界へと導く。散文詩的に立つ3本の柱は「奥」の中空を家の一部として共有している。それぞれの柱は各所で空間の軸となり、それらの均衡が保たれることで家全体の像を描く多中心の構造は、中央が空であり、中庭の中空構造と重なり合う。中心を持ち一つの統合に向かう空間と異なり、中空構造の空間は曖昧な輪郭が周囲と溶け合い、内部は周辺環境を受容し、周囲と近接するエアポケットのような場所に人間が棲み付くのを無意識の内に促してくれる。


日常の奥

接道ゼロメートルの敷地は建築基準法上、新築をするためには大きな問題がある。しかし、公道からは自己所有地でないものの古くからある路地が伸びており、人が行き来し日常を生活する上では全く問題はない。目に映る景色としても何ら違和感を生むものではない。空間に法律というレイヤーを感じたときにのみ問題が生じるのだ。人間は目には見えないさまざまなレイヤーを持っている。目に映るものというのは生きている世界の一部でしかない。目に映る世界の中でのみで生きていたら人間は息苦しく辛くなってしまう。現代社会は情報が溢れているが故に想像力を失い、眼前の世界の中だけで生き過ぎてしまっている。

この家の柱は全て同じ径で、同じ漆黒に塗られたものが反復されている。黒は「虚」を意味する。漆黒の柱が描く中空構造の中心もまた「虚」である。この「虚」が描く仮構、すなわち眼前とは異なるもう一つの世界を家という日常空間の中に持つことが、人間が人間らしく生きるために必要だと考え、この計画を行った。

建築場所  | 京都府京都市

用  途  | 個人住宅(設計者自宅)

工事種別  | 新築工事

構  造  | 木造2階建て

構造設計  | U‛plan 濵本千明

造  園  | 庭友 佐野友厚

撮  影  | 笹の倉舎 笹倉洋平

      大庭徹建築計画(右下に*印のある写真)

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